「乳輪乳頭」作成から「刺青」完成までの全行程
私の乳輪乳頭作成の方式は、乳頭=スターフラップ(立上げ) 乳輪=鼠径部の移植でした。、入院当日から乳頭の刺青、完成までの過程を、個々にアップしましたが、順番に辿るのは面倒かもしれません。
ここに全行程をまとめました。必要な方は一気にご覧になって下さい。刺青以外はすべて保険適用でした。3年前なので食事代、個室代などは多少、変動しているかもしれませんが、準備するものや心がけなどは参考になると思います。
尚、『 乳頭=健側からの移植 乳輪=刺青 』 の施術については、シャロンのサポーター、Oさんの記事 【シリコン~エキスパンダーから乳頭作成までの全過程~ 】で詳細をご覧になれます。
尚、『 乳頭=健側からの移植 乳輪=刺青 』 の施術については、シャロンのサポーター、Oさんの記事 【シリコン~エキスパンダーから乳頭作成までの全過程~ 】で詳細をご覧になれます。
2015年
2/26(木)入院当日
・横浜市立大学附属市民総合医療センター(以下市大センター)にて
佐武利彦ドクターによるマーキング
・横浜保土ヶ谷中央病院(以下保土ヶ谷中央= 旧横浜船員病院)に入院
佐武利彦ドクターによるマーキング
・横浜保土ヶ谷中央病院(以下保土ヶ谷中央= 旧横浜船員病院)に入院
この病院は市大センターの連携病院で、佐武ドクターが出張して施術する。風邪を引かないよう過労にならないよう、スケジュールをやりくりしてようやくこの日を迎えられた。
万一、悪天候や交通トラブルに阻まれたら、と思い、前夜は横浜市黄金町駅近くのビジネスホテルに素泊まり。重いスーツケースはチェックインする日に届くよう、宅配便で送っておいた。入院当日の朝、荷物はホテルに預け、市大センターまで徒歩7~8分。
* * * * * * * * * *
9時から佐武ドクターによる乳輪乳頭形成のためのマーキング。健側の乳輪乳頭の輪郭をなぞる。次にお胸の谷間に同じサイズの二重丸。小さい目玉焼きみたい。手術台に横たわると乳房の高さが変わるので、これが確かな目印になるそうです。
再建側、皮膚移植の部分に残る、おへその皺をメスで切り取り、綺麗な皮膚を継ぎ寄せる。その切り取り面積は赤い網目模様。
次に赤い面積を指で寄せ、新しい乳頭の位置に狙いを定め、スターフラップ(星形立ち上げ)部分は花びら模様。
再建乳房の分厚い脂肪を吸引し、それを鎖骨の下のくぼみに注入する、その二カ所にマーキング。
「鼠径部はどのくらい切りますか」
「使う分しか切りません」
「マーキングは消えないかしら」
「今夜のシャワーで、あまりこすらないようにね」
今回の必需品
・乳房再建時に使った乳帯2、3枚(手術用の前開きブラ。捨てないでおいて良かった)
・傷を美しく直すサージカルテープ(保土ヶ谷の病院では買えないので、市大センター病院の売店で必ず買っておくこと)。
・がん保険請求のための診断書と、傷病手当請求のための診断書(保土ヶ谷の担当ドクターにお願いする)
ホテルの荷物を引き取って、タクシーで横浜保土ヶ谷中央病院へ。横浜駅からバスで20分程度なのだが、学生たちで混み合う路線だ。その上、雨降り。足元を滑らせ怪我でもしたら、全てが水の泡になる。
道が空いていたので市大センターから保土ヶ谷中央まで2,160円。
幸運なことに相部屋になったのは、同じ佐武ドクターによる乳輪乳頭作成のXさんだった。
入院手続きを済ませ、まずT字帯を売店で購入。
ナースが足のふくらはぎをメジャーで測りに来た。手術時の血栓予防の弾性ストッキング、サイズが大事。緩かったら役に立たない。この種のストッキング、飛行機に乗る時などエコノミー症候群の予防になるから、捨てないでおくのが良いと、Xさんからお知恵を拝受。
手術の付き添いは、東京郊外に住む友人Iさんに頼んだ。術後の絶対安静の間、何がどこにあるかを伝えられるよう衣類、その他を整頓。
夕刻、全身シャワー。「こすらないで」と言われたが、汗ばんで薄くなっていた印を、ナースが黒のマッキ―で一生懸命なぞってくれた。
鼠径部には初めからマーキングがなかった。ナースが下の無駄毛を剃ってくれることもあるようだが、健側の乳輪の色に似た部分だけを採る。アーモンド型に切り取り、立ち上げた乳頭の周りを囲んで縫い付け、乳輪を作るのだ。
この手術後の三カ月くらいしたら、佐武ドクター指定のクリニックで刺青を刺し、色を整え仕上がりとなる。
食事は19時まで自由、水分は24時まで自由、それ以降は絶飲食。寝ぼけて口にすることがないよう、枕元から飲み物類を遠ざけ、洗面台の鏡にも、『絶飲食』と貼り紙した。
「下剤を飲みましたか」とナースは三度確認に来た。「明朝は丁寧に歯磨きして下さい」。全身麻酔の管を口から入れるのだから、口腔内を清潔にしておくに越したことはない。
明日、術後3時間は絶対安静。その間、呼吸が浅くなりがちだから、今から深呼吸の練習をして上手に酸素を取り入れるようにして下さい、とのこと。
両腕を肩と水平に上げて手術するが、筋肉に問題はないか、と聞かれた。乳がん切除の際に腱が傷つき、40肩、50肩になるケースが少なくない。重症になると30度上げることさえ出来ないのだから、無理は禁物なのだろう。
再建本手術からしてから乳輪乳頭作成までは、最短でも半年おくのが望ましいとされている。
3年前の再建手術と比べれば蚊に刺されるようなものだが、緊張して寝付けない。緊張しないでコトを迎えれば失敗が付きものなのだから、これも大事な助走なのです、と自分に言い聞かせ、午前二時まで冴え冴えしていた。
2/27 2/27(金)手術当日
手術時間は、Xさんが9時から10時半。
私が10時半から12時までの予定。
朝一で看護師さんが弾性ストッキングを履かせてくれた。爪で繊維をつまみ上げ、圧を均等にしている。
「患者さんがご自分で履こうとすると、普通のストッキングのように伸ばしてしまうから、意味がない」とのこと。
青い手術着とガウンでスタンバイ。下着はショーツのみ(手術が終了時、T字帯を付けて出てくる)。
付き添いのIさん、9時頃到着。下町育ちの彼女は噺家のような笑い話をたくさん持って来てくれる。手術の説明書きを見せてお喋りしていると、Xさんの手術が早めに終わったので10時に手術室に入りましょうと言われ、慌てた。
オペ室にはモーツァルトが流れていて(Xさんはハワイアンだったそうです)、ルビーレッドのユニフォームのナース達がニコニコと出迎えてくれた。「眠っているうちに終わるからね」と佐武ドクターのお声。
手術台に横になって、心電図、体内酸素、血圧の測定。健側の腕にチクッと針が入り、吐気止め、痛み止めを兼ねた柔らかい麻酔がきいてきた。すっかり眠ってから、人工呼吸のための管が口から入る。
麻酔が効いている間、夢を見たのは初めてだった。内容を覚えていないのが残念だが「○○さん、管抜きますよー」と声をかけられた瞬間も、言いようのない楽しい思いが残っていて、もっと眠っていたかった。
ベッドごと部屋に戻され、時計を見ると12時過ぎ。酸素マスク。これ以降、痛みが強かったら、点滴か座薬か飲み薬を使うと言われていたが、どこにも痛みはない。
全部で小さな傷が5カ所にあるはずだが、違和感があるのは脂肪注入した鎖骨の下だけだ。痛いというよりシンシン響いている。
ナースに言われたように時おり深呼吸したつもりだったけれど、Iさんによるとあまりに静かなので息をしているか心配だったそうだ。
水分補給の点滴が入っているので14時半にはトイレに行きたくなった。「あと30分で安静時間が終わります、我慢できなければ容器を持ってきます」と言われ、我慢。
15時10分、ナース付き添いでゆっくり点滴台を押し、トイレへ。T字帯を濡らさないように、鼠径部のガーゼを濡らさないよう、前寄りに座って用を済ませ、コールでナースを呼び、見守られて部屋に戻る。
ガスは出ましたか、と聞かれる。麻酔から覚め、内臓が動き出せばガスが出る、つまり水を飲むのを許される、ということだ。聴診器をあて、「お腹は動いていますね、大丈夫でしょう、ゆっくり噛むように飲んでください」
初めの一口の、水のおいしさ。「ストロー付のコップ、買ってこようか?」
Iさんは心配そうだが、今回は本手術の時と違って身動き出来るのだから、楽勝だ。「ずっといるよ」と言ってくれたが、彼女は詩を書く人で、某雑誌から原稿依頼があり、ひそかに急いでいるのだ。
「ありがと、またね」とベッドから笑顔で見送った。
『私は検査や手術が大好きです』という珍しい患者に遭ったことがある。平素、勉強熱心で活動的な人だった。神様から「休め」と言われたようで嬉しくなるのだろう。
乳輪乳頭の作成手術は局所麻酔で日帰りする患者も多い。今回、全身麻酔をかけたのは、大きめに再建した乳房の修正を兼ねていたからだ。
その日の夕食はすでに常食だった。食べられずにお膳を返したが、消灯時間を過ぎると急にお腹が空き始め、翌日の朝食が待ち遠しかった。
21時の消灯時に鼠径部にひきつれを感じ、念のために頓服を一錠飲んだ、必要はなかったかもしれない。今回の手術で、痛み止めをもらったのは、この一回限り。傷の具合によって、患者の反応は様々だとナースは言う。痛むか痛まないか、あらかじめ心配しても予測がつかない。
Xさんは再建した乳房の形を整え、乳輪を鼠径部から作るところまでは私と同じだが、乳頭は健側の半分を切り取って縫い付けている。その健側乳頭が少し響くようだが、薬を飲むほどではない。
2/28(土)術後1日目
朝6時、そっとテープを外し、スポンジの保護材を傾けてのぞくと、くっきり乳輪枠が見える。円筒形の乳頭も見えた。このスポンジは新しい乳輪乳頭を定着させるため、三カ月は付けておく。
検温、血圧、体内酸素、異常なし。口の中が痛い。潰瘍が出来始めている。全身麻酔のあとは、管の出し入れで口腔が傷ついているので、術後は大きな口内炎が三つも四つも出来て、マトモイハナヒガレキナクナウ(まともに話が出来なくなる)のが常だ。ドラッグストアで買っておいた『ケナログ』を、指で塗布して、これで早々に退治。
抗生剤の点滴を終え、8時にベッドを離れた。
パジャマ姿で外来へ。
傷病手当申告書、保険金請求の診断書を、自分あての切手付封筒と共に窓口に提出。
抗生剤の点滴を終え、8時にベッドを離れた。
パジャマ姿で外来へ。
傷病手当申告書、保険金請求の診断書を、自分あての切手付封筒と共に窓口に提出。
10時、回診で傷痕チェック、T字帯をショーツに代え、鼠径部のガーゼを取りテープに代える。これでトイレが楽になった。鼠径部の痛みを訴える人が多いと言うが、ほとんど自覚症状がない。テープを貼っているから歩く時だけひきつれる。このくらい感覚がなくては、手術をしたことさえ忘れてしまう。10センチくらいの傷だった。
15時、Xさんにお見舞二人が来訪。この輝くばかりの美女二人には覚えがある。二人とも私を見たことがあるという。うらふねサロンやポーさんの会主催のセミナーで顔を合わせていたのかもしれない。
彼女たちは佐武ドクターの同時再建だった。傷跡も残らないほぼ完成したお胸を見せていただいた。乳房再建の黎明期を底固めしたうらふねのマダムやポーさん達の功績は、顕彰ものだと思う。
17時近くまでお喋りの仲間に入れていただき、とても楽しいひと時だった。玄関まで見送りに行くと、西の廊下が夕日に輝いて、天界を思わせるまばゆい光に満ちていた。そういえば再建本手術の朝も、こんなまばゆさを、ビルの反射光に見た覚えがある。
夕食前に最後の抗生剤が30分で終わり、点滴針が抜けた。
乳がんを患って以来、私は以前にもまして人間関係に恵まれている。自分の努力によるものではなく、与えられたという実感だ。
3/1(日)術後二日目。
朝の回診で、腋の脂肪吸引部分の厚ぼったい脱脂綿がとれ、代わりにテーピング。その傷三センチ。鎖骨下の脂肪注入跡にも新しいテープ。
Xさんに見てもらうと、術側の乳房が昨日より腫れているという。それもまともな体の反応だ。私の体は私のために頑張ってくれている。
抜糸までは、全身シャワー禁止。
朝食後、シャンプー。元より顔色が悪いので、鏡を見ると病人の気分になってしまう。ファンデーションと口紅を薄く塗った。篠突く雨、外は寒い。
午後、30年来の友人が見舞ってくれた。彼女も同病の経験者で、シリコン再建を完成させている。
彼女はホルモン療法で脚が弱くなり、一時は10メートルと歩けなくなってしまった。少しずつ筋力をつけ、今では毎日、野の花が咲く道を30分歩き、週に二回は泳ぎに行くという。
やはり筋肉をつけなくては。せっかく乳房再建で自然なラインを取り戻したのだから、泳がないのはもったいない。
彼女は乳がん告知をうけた時は「早く悪いものを取らなくては」、と焦ったそうだ。けれど腫瘍が大きかったため、術前抗がん剤治療を受けた。そのおかげで、再建を熟考する時間が与えられ、切除時にエキスパンダーを入れる決心がついた。その後はシリコン挿入、乳輪乳頭作成と順調だ。乳頭は健側からの移植。一日一回沈みかけているのを引っ張り上げるという。
彼女はホルモン療法で脚が弱くなり、一時は10メートルと歩けなくなってしまった。少しずつ筋力をつけ、今では毎日、野の花が咲く道を30分歩き、週に二回は泳ぎに行くという。
やはり筋肉をつけなくては。せっかく乳房再建で自然なラインを取り戻したのだから、泳がないのはもったいない。
彼女は乳がん告知をうけた時は「早く悪いものを取らなくては」、と焦ったそうだ。けれど腫瘍が大きかったため、術前抗がん剤治療を受けた。そのおかげで、再建を熟考する時間が与えられ、切除時にエキスパンダーを入れる決心がついた。その後はシリコン挿入、乳輪乳頭作成と順調だ。乳頭は健側からの移植。一日一回沈みかけているのを引っ張り上げるという。
3/2(月)術後3日目
この日の素晴らしいサプライズは、Xさんを見舞ってくれたお友達が、刺青した仕上がり乳頭の一例を、写真で見せて下さったこと。詳細は自分が経験するまでここにはアップ出来ないが、胸のときめく貴重な情報だった。
ある場面が思い出される。
乳房再建の本手術の前夜、佐武ドクターが術式の絵を描いて詳しく説明してくれた。「ここまで来たら、お任せします」と答えたような気がする。疲れ切っているドクターに早く帰って休んでほしかった。
あとから書類を見直すと『一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします』と手書きの文字で結んであった。患者をヒイキなく公平に扱いつつ、尚、それぞれの個人を尊重している。この一言で、自分も頑張ろう、と鼓舞される患者は多いようだ。
3/3(火)術後4日目
10時の回診で鼠径部のテープが取れた。
「痛いですよ、我慢してね」 「くすぐったいです、あら?これから取るの?」
「もう取れたよ」。
傷はミミズバレ程度。あとは塗り薬もテープも無い。鼠蹊部だけは体内で溶ける糸を使っているのか、抜糸も必要ない。
テーピングがなくなると、むしろ違和感がある。
ショーツの縁(へり)があたるようなら、ショーツのその部分は鋏で切り取ってしまう、ストッキングで擦れるなら、ももひきで足りるファッションで外出する、など患者によって様々な工夫をしているのだと思う。
今日から下半身シャワー可。体は自由に動くが、腕を上に、後ろに、強くひっぱることは当分我慢して下さい、とナースから一言。
Xさんは今日で退院。
彼女のおかげで愉快で有益な入院になった。感謝です。機会があればシャロンmに遊びにきて、ぜひ群馬の温泉でくつろいでほしい。
前にも書いたが、Xさんの再建本手術は、佐武ドクターによる『穿通枝皮弁』、同時再建だった。
二次再建患者の場合、絶対安静の48時間のあいだ「命にかかわらないのに、こんな形成手術、するんじゃなかった」という一過性の後悔に襲われる。
乳がんを切除するのと同時に再建するなら、治療そのものなのだから悔いは無い。二次再建と比べて長時間かかるわけではない。エキスパンダー過程も飛ばせるので、体にも費用にも負担は少ない。
また、Xさんからの情報によると、ドクターにとっては二次再建より同時再建の方がやりやすいそうだ。
8、9年前の私の乳がん治療では、自家組織の同時再建など、まったく視野に入っていなかった。
自家組織の同時再建を望んだ患者すべてにチャンスがあるではないが、チャンスに恵まれた人はそれを大事にしてほしい。
再建本手術後の『48時間絶対安静』とて、限りがある苦しさに過ぎない。終わりは来るのだ。
3/4(水)退院前日
さる筋から貴重な情報が入った。乳輪乳頭に刺す刺青の、良質な素材が新たに出たという。
これから、仕上がりを迎える私達はとても幸運だ。
最後の朝食をありがたくいただいた。 回復時は睡眠と食事が何よりの薬になる。病院食は栄養士さんが予算内で頭をひねり、工夫して作る献立だ。薄味に慣れると、日ごろの味付けが濃すぎることに気付く。毎回、酢の物がものすごく嬉しくて、体が酸を求めているのがわかった。
保土ヶ谷中央は基本が6人部屋。お年寄りが一晩中コールを押し続けることもあって、同室の人は眠れないこともある。個室料金は高いので、せめて二人部屋にしたのがXさんとのご縁につながり、大正解だった。
隣室のお年寄りは時おり痰がからんで辛そうだ。夜中に聞こえてくる若いナース達の声は、「どうしてほしいの、○○さん、聞こえる? え?何、もう一度言って」と、自宅でおじいちゃんを看ている孫娘みたい。
隣室のお年寄りは時おり痰がからんで辛そうだ。夜中に聞こえてくる若いナース達の声は、「どうしてほしいの、○○さん、聞こえる? え?何、もう一度言って」と、自宅でおじいちゃんを看ている孫娘みたい。
今朝の回診は時間がないので免除。
退院し、その足で市大センターに向かう。佐武ドクターによる抜糸、そしてようやく帰宅の予定。
Xさんも今日の市大センターで、一足先に抜糸が済んでいるはずだ。顔を合わせた時、おととい別れたばかりなのに同窓生に遭ったような懐かしさだった。
2、3年前にウラフネサロンで見せていただいたスターフラップの乳頭は、「丸いお豆」だった。が、抜糸時に見た自分の乳頭は、しっかりした円筒形になって乳輪から屹立している。陥没を防ぐため佐武ドクターは新たな方法を考案したとのこと。
退院し、その足で市大センターに向かう。佐武ドクターによる抜糸、そしてようやく帰宅の予定。
Xさんも今日の市大センターで、一足先に抜糸が済んでいるはずだ。顔を合わせた時、おととい別れたばかりなのに同窓生に遭ったような懐かしさだった。
2、3年前にウラフネサロンで見せていただいたスターフラップの乳頭は、「丸いお豆」だった。が、抜糸時に見た自分の乳頭は、しっかりした円筒形になって乳輪から屹立している。陥没を防ぐため佐武ドクターは新たな方法を考案したとのこと。
抜糸は時おりチク、とする程度。今回は乳輪の抜糸をしただけ。乳頭は二週間このまま大事に縫い付けておいて、しっかり馴染むのを待つ。
今日から全身シャワーが許される。スポンジ保護材を外し、乳輪乳頭はそっ
と洗うこと。三カ月の間はスポンジと乳帯をつける。
替えのスポンジをもらったが、乳頭の部分の穴がない。
「4つに畳んた折込み部分にハサミを入れて、穴を空ければいいんだよ」
「これなら粉おしろいのパフでも間に合いますね」
「化粧用は一度テープを付けるとダメになる。専用のこれを使って。今は3枚重ねてあるけど、シャワーのあとは2枚でいいよ」
「ハイ」。
替えのスポンジをもらったが、乳頭の部分の穴がない。
「4つに畳んた折込み部分にハサミを入れて、穴を空ければいいんだよ」
「これなら粉おしろいのパフでも間に合いますね」
「化粧用は一度テープを付けるとダメになる。専用のこれを使って。今は3枚重ねてあるけど、シャワーのあとは2枚でいいよ」
「ハイ」。
保護材でしっかり固定しているのに、病院の外に出ると乳輪乳頭が落っこちてきそうな気がして、人ごみでは思わず胸に手をやってしまう。
塗り薬の「ゲンダシン」と、傷を綺麗に治す「リザベン」を処方箋薬局で入手。
薬局のアンケートの『今の治療、症状』の欄に乳房再建と書いた。
窓口女性が「再建したお帰りなのですか」と小声で尋ねた。
「いえ、再建は三年前です。今回は乳輪乳頭を作りました」
「そうですか、体調は大丈夫ですか」と目を瞠っている。
乳房再建に関心のある女性は今、そこかしこにいるようだ。
薬局のアンケートの『今の治療、症状』の欄に乳房再建と書いた。
窓口女性が「再建したお帰りなのですか」と小声で尋ねた。
「いえ、再建は三年前です。今回は乳輪乳頭を作りました」
「そうですか、体調は大丈夫ですか」と目を瞠っている。
乳房再建に関心のある女性は今、そこかしこにいるようだ。
市大通りの珈琲ショップ『ラパン』で挽き立ての甘みあるブラックを飲んだ。
一週間前の早朝、ここに入り、手術が成功したら帰りにまたここで美味しいたコーヒーを飲むのだ、と固く決めていた。
実現したなぁ、と幸福感に包まれ、しみじみ味わっていたのだが、店内の焼き立てパンの陳列が妙に気になる。
小さなパイに苺が一個、埋まっているお菓子があるのだ。それさえ乳輪乳頭に見えてしょうがなかった。
一週間前の早朝、ここに入り、手術が成功したら帰りにまたここで美味しいたコーヒーを飲むのだ、と固く決めていた。
実現したなぁ、と幸福感に包まれ、しみじみ味わっていたのだが、店内の焼き立てパンの陳列が妙に気になる。
小さなパイに苺が一個、埋まっているお菓子があるのだ。それさえ乳輪乳頭に見えてしょうがなかった。
以下の費用明細が、これから乳輪乳頭を作ろうとしている方の参考になるのを願います(術式については先にアップした内容をご確認下さい)。
2/26~2/28(検査、手術、術後管理を含む)
医療費の自己負担のみ 57,600円(一定枠を超えたので、高額医療制度適用)
差額ベッド代 16,200円(5,400円/日×3日)
食事負担分 1,560円
2月合計 75,360円
3/1~3/5(退院まで)
文書料 5,400円(保険請求の診断書等)
医療費の自己負担 32,290円(一定枠につき、3割負担分)
差額ベッド 27,000円(5,400円/5日)
その他 129円(?)
食事負担分 3,380円
3月合計
68,199円
全合計143,559円
今回は入院が2月と3月にまたがってしまったので、3月医療費の自己負担分32,290円が飛び出してしまった。ひと月以内に収まれば、高額療養費の枠内におさまるので、この分のお金はかからなかったのだ。
初めに提案された手術日は2/13(金)だったけれど、13日(金)を避けたかった。かすかな不安因子さえ遠ざけたくて、お金がかかるのを覚悟した。ここまで努力したのだから、この先にアクシデントが起ころうと、悔いはないと思う。
仮に13日から入院して、6人部屋を使っていれば、全合計は 68,000円に抑えられたことになる。ふぅ。
民間保険150,000円下りる予定なので、今回は収支と支出がほぼトントン。ただし、交通費だけがお財布を痛めた。
(後日の記載 : 民間保険では予期せぬ手術給付金が100,000円入った。嬉しい驚き。乳輪乳頭形成も、しっかり医療行為として認められているということだ。ただし、鼠蹊部からの移植と立上げ、という自家組織による作成ゆえ、です)。
(後日の記載 : 民間保険では予期せぬ手術給付金が100,000円入った。嬉しい驚き。乳輪乳頭形成も、しっかり医療行為として認められているということだ。ただし、鼠蹊部からの移植と立上げ、という自家組織による作成ゆえ、です)。
今後予定している刺青には保険適用はない。情報によると私がこれから受ける刺青の施術は、全額自費負担で6~8万程度と聞いている。自由診療なので、クリニック、病院によって様々だ。実体験したら、またお知らせしたいと思います。
佐武ドクターによると、立上げた乳頭がしっかり定着してから刺青を、とのことなので、これより半年以降の施術になります。
お金貯めつつつ、気長に構えることにします。
抜糸後初めての全身シャワーで、立ち上げ乳頭をそっと洗った。そこにくっ付いているものが、あまりに柔(やわ)で頼りなく感じられ、「あれだけの思いをして作ったのに、お前はすぐにへこんで無くなってしまうのね」。悲しくて、シャワーの後もずっと、気力が湧かなかった。
その翌々日(手術から10日目)、浴室の腰かけに座って体を洗っていた時のこと。屈んだはずみに乳頭部分を我知らず、膝で押し込んでいた。「あー、へこんでしまった」。と、次の瞬間、新生乳頭は怒ったようにムゥッと出てきた。いつの間にか根性が備わっている。
乳頭部分はまだ抜糸していないので、その先には黒い細い糸が巻きついている。けれど、糸を外した後も、これは末永く陥没しないかもしれない、と感じた。
その後も日に日に質感を増し、安定している。
スターフラップ方式に変わりはないが、縫い付けは新たな方法を試みた、と聞いている。佐武ドクターの飽くこと無い探究心もさることながら、人の体に宿っている自家組織というものの定着力は凄いと感じる。
上手に表現できないけれど、そもそも人の体は偶然の産物ではないと思う。私は乳がんより以前に、ある臓器を切除しているので、その後の体調の変化によって思い知らされたことは、「自然」の中に無駄なものは一つもない、ということだった。
神様による完成品として生まれてきた体の一部が、不運にも病気で失われた。それを再形成するのに、膨大な知恵と力と症例数が必要なのだ。
治療や形成は、神様の力を再び借りて、医療と患者が一体になって謙遜に取り組んでゆく「術」なのだと思う。
こんなことを書いては生意気かな、と不安になるが、患者にとって「謙虚になる」とはどういうことだろう。医師の言うなりになることでもなければ、勉強しないで成り行きに任せることでもないと思う。本物の謙遜を身に付けるには、勇気が必要だ。明るい気持ちになるよう自分をコントロールすることも大事だ。
鼠径部から持ってきた乳輪はすでに抜糸を終え、取れない糊で貼りつけた、という印象だ。健側と比べれば色が濃い。刺青によって薄くし、尚、輪郭にぼかしを入れて限りなく自然に近づけるのだという。
忘れてはならないのは、修正を加えた乳房全体の形だ。まだところどころ内出血のあとがある。腫れが引くにつれ微妙な左右差が、きれいに整ってくる。お帰りなさい、という実感。神様、サロンの参加者に報告するのが楽しみです。
刺青で「乳房再建完了」、最良の一日
2015年9月の初旬、乳輪乳頭に刺青をさして私の乳房再建は完了しました。
Kクリニックにて、佐武利彦ドクターによる施術でした。鼠径部からとった乳輪、スターフラップによる乳頭の作成から、ちょうど半年。予定通りの運びです。待合室にいると、処置室からドクターの気さくな話し声が聞こえてきて、それだけで元気が湧いてくる。この信頼感のおかげで今日までやって来られたのかもしれません。
刺青の前にお胸を見せると、看護師さん達の間に「オオ」という感嘆の声があがりました。佐武ドクターの腕前に改めて驚いたのでしょう。でも良い事尽くめではありませんでした。私なりに努力もしているのです。陥没しないスターフラップ乳頭の秘密は、佐武ドクターの新方式に加え、一日置きくらいに保護材のスポンジをあてる点にもあります。毎日ブラで締め付けていると、埋もれてしまうかもしれません。スポンジがずれると、乳頭の端だけがつぶれていた、ということもあります。けれど、スポンジの穴を命中させて、テープで大事に押さえおくと、再び起き上がります。そこは流石ですね。
局所麻酔:普段着の上半身を開けて手術台に横たわり、乳頭の根元に注射を打ちます。自分の皮膚を丸めて作った乳頭です。痛みは感じません。薬液が浸透してゆくひんやりした感じだけがありました。
2,3種類のチューブの具財を混ぜ合わせ、健側の色を見ながら刺してゆきます。懐かしい図画の時間の絵の具の匂いが漂いました。
大きなボールペンのような電動器具の先に12本くらい微細な針があり、それを振動させて乳頭に凹凸をつけ、色の浸透させてゆくのですが、この振動は歯医者さんで歯間掃除をしてもらっているのに似ています。次はやや色具合を変えて乳輪のボカシです。
看護師さんが親切にも、耳元にスマホを置いてバッハの無伴奏を聞かせてくれましたが、『ブーン』の電動音でかき消され、台無しでした。「音楽より刺青目的で来たんでしょ」と佐武ドクター。
途中、二度ほど起き上り、全体を確認してもらいました。刺し終えた乳輪乳頭はラップで包み、上からガーゼを貼られ、3日間は外せません。5日めには落ち着いているから、そっと水で流して、とのこと。一週間は用心です。
処置室に入ってから出るまで、40分くらいでした。
これは自由診療です。
初診料 3,000円
施術料 60,000円
針料金 10,000円
合計 73,000円
前にも発信しましたが、乳輪乳頭作りの時、通常のがん保険とは別に、手術給付金10万が入っていたので、それを今回の施術費用に充てました。穿通枝皮弁による再建手術から始まり、全て社会保険とがん保険で賄えたので、交通費も含めて持ち出しは必要ありませんでした。
万一、半年以内に色落ちした場合、1,000円で刺し直していただけるそうです。それ以降は針料金のみ10,000円かかります。でも何となく自分にはやり直しは必要無いと感じました。多少色落ちしても、鼠頸部からとった皮膚の地の色があるので、全く消えてしまうことはないのです。
とうとうやり終えた――。 達成感と幸福の波が押し寄せてきました。
2006年に乳がん発症、全摘、抗がん剤、ホルモン治療。2009年にSOGのセミナーで再建の詳細を知り、佐武ドクターを外来に尋ね、1年半待って2011年に腹部の穿通枝皮弁による乳房再建。2015年2月に乳輪乳頭を作り、この9月の刺青で完成しました。
乳房を失ってから9年が経っていました。時間がかかった理由は、介護、転職、患者ボランティアなど、日々のお務めのためでした。自分の場合、急ぐよりも十分に納得してコマを進めてきたのが良かったと思います。
全ての始まりとなったのはSOGのセミナーです。そこでお会いしたYさんに、完成までずっと相談に乗っていただいていました。
折しも「完成」の夜、Yさんがバックアップしているロックバンドのライブが私の地元で開かれていたのです。
横浜から帰り少し眠ってから、ライブの会場となっている高崎のカレーショップ「印度屋」さんに伺ったのですが、扉を開くなり、ビートルズ円熟期のメロディとファンの歓喜のオーラに呑み込まれました。ドラムもベースも巧い、そしてリッキーこと廣田龍人さんのソフトな声質と、ピアノの音色ほどに繊細な響きのアコースティックギター、ああ、この人の声でいつかジョン・レノンの「イマジン」を聞きたい。
後半は「抱きしめたい」や「シーラブズユー」のビートに誘われ、踊りの輪の中に入って一緒に歌っていました。今度こちらでライブを開くのは2016年の2月とか。もう、すっかり常連になりそうです。
お別れの時、「このライブが私の乳房再建の打ち上げになった」とYさんに抱きついて、涙ぐんでいました。
一生忘れることのできない、素晴らしい一日でした。
完
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