乳輪乳頭作成 入院当日(スターフラップ+鼠蹊部) 

2015年

2/26(木)入院当日

 ・横浜市立大学附属市民総合医療センター(以下市大センター)にて
              佐武利彦ドクターによるマーキング
 ・横浜保土ヶ谷中央病院(以下保土ヶ谷中央= 旧横浜船員病院)に入院
 

この病院は市大センターの連携病院で、佐武ドクターが出張して施術する
邪を引かないよう過労にならないよう、スケジュールをやりくりしてようやくこの日を迎えられた。


万一、悪天候や交通トラブルに阻まれたら、と思い、前夜は横浜市黄金町駅近くのビジネスホテルに素泊まり。重いスーツケースはチェックインする日に届くよう、宅配便で送っておいた。 入院当日の朝、荷物はホテルに預け、市大センターまで徒歩7.8分。

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 9時から佐武ドクターによる乳輪乳頭形成のためのマーキング。健側の乳輪乳頭の輪郭をなぞる。次にお胸の谷間に同じサイズの二重丸。小さい目玉焼きみたい。手術台に横たわると乳房の高さが変わるので、これが確かな目印になるそうです。
再建側、皮膚移植の部分に残る、おへその皺をメスで切り取り、綺麗な皮膚を継ぎ寄せる。その切り取り面積は赤い網目模様。
次に赤い面積を指で寄せ、新しい乳頭の位置に狙いを定め、スターフラップ(星形立ち上げ)部分は花びら模様。 
再建乳房の分厚い脂肪を吸引し、それを鎖骨の下のくぼみに注入する、その二カ所にマーキング。 
「鼠径部はどのくらい切りますか」
「使う分しか切りません」
「マーキングは消えないかしら」
「今夜のシャワーで、あまりこすらないようにね」
 
 今回の必需品
  乳房再建時に使った乳帯23枚(手術用の前開きブラ。捨てないでおいて良かった)
 
傷を美しく直すサージカルテープ(保土ヶ谷の病院では買えないので、市大センター病院の売店で必ず買っておくこと)。
 
がん保険請求のための診断書と、傷病手当請求のための診断書(保土ヶ谷の担当ドクターにお願いする)
 
ホテルの荷物を引き取って、タクシーで横浜保土ヶ谷中央病院へ。横浜駅からバスで20分程度なのだが、学生たちで混み合う路線だ。その上、雨降り。足元を滑らせ怪我でもしたら、全てが水の泡になる。
道が空いていたので市大センターから保土ヶ谷中央まで2,160円。
幸運なことに相部屋になったのは、同じ佐武ドクターによる乳輪乳頭作成のXさんだった。
入院手続きを済ませ、まずT字帯を売店で購入。
ナースが足のふくらはぎをメジャーで測りに来た。手術時の血栓予防の弾性ストッキング、サイズが大事。緩かったら役に立たない。この種のストッキング、飛行機に乗る時などエコノミー症候群の予防になるから、捨てないでおくのが良いと、Xさんからお知恵を拝受。
手術の付き添いは、東京郊外に住む友人Iさんに頼んだ。術後の絶対安静の間、何がどこにあるかを伝えられるよう衣類、その他を整頓。
夕刻、全身シャワー。「こすらないで」と言われたが、汗ばんで薄くなっていた印を、ナースが黒のマッキ―で一生懸命なぞってくれた。
鼠径部には初めからマーキングがなかった。ナースが下の無駄毛を剃ってくれることもあるようだが、健側の乳輪の色に似た部分だけを採る。アーモンド型に切り取り、立ち上げた乳頭の周りを囲んで縫い付け、乳輪を作るのだ。
この手術後の三カ月くらいしたら、佐武ドクター指定のクリニックで刺青を刺し、色を整え仕上がりとなる。
食事は19時まで自由、水分は24時まで自由、それ以降は絶飲食。寝ぼけて口にすることがないよう、枕元から飲み物類を遠ざけ、洗面台の鏡にも、『絶飲食』と貼り紙した。
「下剤を飲みましたか」とナースは三度確認に来た。「明朝は丁寧に歯磨きして下さい」。全身麻酔の管を口から入れるのだから、口腔内を清潔にしておくに越したことはない。
明日、術後3時間は絶対安静。その間、呼吸が浅くなりがちだから、今から深呼吸の練習をして上手に酸素を取り入れるようにして下さい、とのこと。
両腕を肩と水平に上げて手術するが、筋肉に問題はないか、と聞かれた。乳がん切除の際に腱が傷つき、40肩、50肩になるケースが少なくない。重症になると30度上げることさえ出来ないのだから、無理は禁物なのだろう。
再建本手術から乳輪乳頭作成までは、最短でも半年おくのが望ましいとされている。
3年前の再建手術と比べれば蚊に刺されるようなものだが、緊張して寝付けない。緊張しないでコトを迎えれば失敗が付きものなのだから、これも大事な助走なのです、と自分に言い聞かせ、午前二時まで冴え冴えしていた。 

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