8月9日(土)サロンご案内 中村清吾医師のことなど

 2025年8月9日(土) 街角サロンを開催します。

会場:群馬県立図書館 三階研究室

時間:5時から17時まで(開始時間にご注意下さい)

参加ご希望の方は下記の連絡先まで。

電話 090-6023-7026(非通知はお受けしていません)

メール hdnfn138@yahoo.co.jp

原則として予約制ですが、ライン等で御連絡頂いている方は

ご心配なく。また、予定の立たない多忙な患者さんは当日の℡、ショートメールでも大丈夫です。

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 乳がん患者のために長年尽力された中村清吾医師がこの5月にご逝去されていました。清吾医師の名を聞くと思い出されるのが元アナウンサーの絵門ゆう子さんです。

乳がん告知の、心無いX医師の言葉にショックを受け、西洋治療を拒否した絵門さんは、その後民間治療に嵌ります。そこに入れておくだけで、食べ物が特効薬に変わるという魔法の食器棚、寝ているだけでがんが治る魔法の布団等々に、何百万もの貯金を投じます。 

(念のため…彼女は知性も教養も備わった女性でした。ただ人を信じやすく、悪意を先回りして見抜くことは不得手だったみたい)

結局、全身にがんが転移して首の骨が折れ、救急搬送されたのです。聖路加国際病院で主治医となったのが、中村清吾医師でした。彼女のこれまでを吞み込み、ぽつりと「頑張っちゃったんだね」。

この一言で絵門さんは救われ、標準治療を受け入れたのです。

 幸い、ホルモン療法が奇跡的に効き、彼女は再び活動を始めます。患者さん達を鼓舞するため奔走します。

 2000年代は乳がん患者が激増した時代です。

 20代で乳がんを罹患した患者さんをモデルに、「余命半年の花嫁」というドラマが大ヒットしました。テレビ局の宣伝を兼ねていたのでしょうか、20代向けの乳がん受診チケットなどが出回り、騒ぎになりました。若い女性は乳腺が白く映るので、擬陽性となる場合が多い。自覚症状が無いのに、その年代でマンモ撮影をするのは被曝のリスクばかりだ、ただちに止めて欲しい、と矢面に立ったのは清吾医師であったかと思い出されます。

妊娠中に乳がんに罹患しても、ある時期から胎児に悪影響の無い抗がん剤が使えて、出産後も母子とも健康でいるケースが増えました。やがて乳がんの遺伝カウンセリングが広まり、遺伝子検査の保険適用、健側乳房の予防切除、卵巣切除も保険適用され、要所、要所で乳がん患者のニーズに応える法令が備えられました。

 無論、スピーディーにあれだけの成果が上がったのはナンバー2、ナンバー3の働き人に恵まれたに違いないのですが、それにしても清吾医師は「いつ眠っているのか分からない」と言われる超多忙の医師でした。

1年くらい前、ある研修会で壇上に立った清吾医師があまりにお痩せになっていたので驚いたのですが、すい臓がんを患っていらしたのですね。すでにステージは進んでいたのでしょう。

 医師も著名人の仲間入りをすればお金と名誉にまつわる誘惑にさらされるのに、ぶれることなく、患者のために命果てるまで働いて下さった中村清吾先生、ヨハネの福音書:12章24節 「一粒の麦が死ななければ…」が、その存在に重なります。

 今はこの世の仕事と奉仕から解かれ、清らかな光に包まれて、ゆっくりお休み下さいますように。

                 「書」:篠原敦子

※8月9日のサロンの夜は前橋花火大会です。時間のゆるす参加者は去年と同様、カフェで夕食をいただき、橋まで歩いて、花火を楽しみましょう。










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