10年間「シャロン前橋」を続けてきて、思うこと
10年、平穏な幸せな暮らしが続く人など滅多に居ません。幸福な日々は人生の小休止に過ぎないのか、とさえ思います。
一時期サロンに参加されていたある人が再建を無事に終えた後で遭遇したのは、子供の難病、自身のリュウマチ発症、親戚の負債を肩代わりする、という出来事でした。言葉を失っている私に「○○さん、そんな顔しないで。これが私の人生なの。あなたは乳房再建でこんなに元気になったのだから、その元気を目一杯使って、働けばいいの」。
逆に励ましてくれた彼女の内にどれほどの葛藤があったことか。それでも、この言葉は今も私の支えです。
背負いきれない重荷をしょっていたのは彼女ばかりではなく、テレビや小説よりも生々しいドラマを、この10年身近に見てきました。「サロンに来れば楽しいし、少しでも役に立てれば」と、穏やかな表情で参加してくれた人がいます。いつしか足を向けることも無くなり、「短いメールしか打てないけど、今のうちにお別れを言っておくね、ありがとう」と挨拶をくれて間もなく、亡くなりました。人から与えられた事、して貰った事への感謝を忘れない人でした。
先日、赤城から下りてくる時、冷え込んだ大気の中に街並が輝いていました。窓の数だけ悩みはある、と、友人が言いました。
最近、八〇歳前後の方々と話すことが多いのですが、それぞれ物凄い人生を生きてきた人ばかりで、この世に「平凡な、普通の人」など一人とて居ないのではないだろうか、と感じます。あの楽しそうな人達は日々、喜びを見出す努力、幸福を味わう習慣を身につけていて、それが脳にインプットされ顔つきが優しくなっているのでしょう。
12月9日の乳房再建研修会のため、先日、あちょさんと牧口貴哉Dr.にご挨拶に伺いました。お人柄に直接接することが出来て、緊張がほぐれ本音トークのひと時でした。医師も患者も、行きつ戻りつ悩んでいます。
人が体力、気力に恵まれ、十分に活動できる日数(ひかず)は短いものです。視野の広い方々からすれば、きっと、ありきたりの事をここに書いているに過ぎないでしょう。
でも、一日一日を丁寧に生きるより他に最善はないのではないかと、思うこの頃です。
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