10月ミニサロンのご報告

 皆、それぞれに苦しい不安な思いを味わってきた方々なのに、明るい顔、声でした。7人の参加、10人部屋をお借り出来たので離れて座し、完全黙食の後のマスク会話が弾みました。語り合うのがこれほど楽しいものだったとは、という実感です。

初参加の方は、不勉強を実感した、とのことですが、現在のように乳房再建の方法が細分化され、実例がケースバイケースなのだから、整理に時間がかかることでしょう。

以下、雑ぱくながら報告します。

どのような方法を採るにせよ、乳房再建に欠かせないのは皮膚を潤し、伸びやすくしておくことです。エキスパンダーなど異物を入れれば、おそらく皮膚は一生懸命呼吸して渇き、潤いを求めるでしょう。私のようなケース、(皮膚の欠損が多く、自家組織の移植とともにパッチワーク状に腹部の皮膚を貼る)という手技は、今では少なくなっていると聞きます。

ひと頃はピンクの軟膏「ヒルドイド」が一世を風靡しましたが、顔に塗るとつるつるになるので需要が増え、今、保険適用になっているのは後発品の「ヘパリン類似物質」です。ドラッグストアで購入するならバイオイル(商品名)が定番です。けれど兎に角、何も塗らないよりは良いので、乳液の余り物でも何でも、常時すり込んで下さい。

新シリコン提供のシエントラ社はアラガン社出身のビジネスマンが起こしたベンチャー企業なので、シリコン中身のジェルの品質は信頼出来そうです。

保険適用といえば、新型コロナのため財政支出が膨大なので、脂肪注入などの適用の展望は明るくありません。

欠損部を埋める脂肪注入には保険が適用されていますが、定着しやすいのはデコルテ部分です。下部を膨らませるのは至難です。脂肪幹細胞が頼みです。

新型コロナ感染が収まって来れば、富山の佐武Dr.を尋ねる患者さんが増えてゆくでしょう。その方々が希望と意欲に満たされますように。

-------------------------------

私事ですがサロンの前々日、10月7日が、私の実母の葬儀でした。妙に聞こえるかも知れませんが、母の終末の日々は私には宝石のような思い出です。

亡くなる一週間前から、母のお世話になっている施設に幾晩か泊り込みました。

一切の薬の注入を止めた後、母は自分の内の養分、水分を消化しつつ、五日間生きました。「お母さん、朝が来たわよ」とおでこに手をあてると温かい。むくみが取れて安らかでした。死前喘鳴(舌が喉の奥にゆくので、呼吸音がゼイゼイ聞こえる)が、徐々に間遠になってゆくなか、母の好きだった詩や童話、遠くに住む孫達の近況などを話しかけました。表情の動かない母の顔が、その奥で輝くのが分かりました。ある朝、訪問看護師が「ご飯、まだでしょう」と、コンビニのお握りと野菜ジュースを私に買ってきてくれて、たまらなく美味しかったです。

担当医師は夜遅く時間を作って来訪し、治療のすべは無くとも一緒に母を見守りながら、自分の親の最期のことを話してくれました。そのような黙りがちな穏やかな時間があるのを、初めて知りました。

5日早朝、兄夫婦が県外から到着し、その日の正午、皆で母の枕元で他愛ないお喋りをしている時、息が消えていました。家族は冷静でしたが、訪問看護師が泣きじゃくり「ごめんなさい○○さん、今、訪問するところだったのに」。長年、看ていたのに最期に立ち会えなかったのが無念だったのでしょう。母はその施設の開所当時からお世話になっていたので、特別な情が湧いたと聞きます。親身なケアマネが涙をボロボロこぼし、家族用の簡易ベッドを片付けてくれました。デイ、ヘルパー、厨房の職員達もお別れに来てくれました。

母が終末期に入って以来、私は仕事でフィリピンのルソン島やパプアニューギニアの奥地に入る時、何かあったら葬儀は済ませておいて欲しい、と身内に頼んでおいたのです。しかし母は面会謝絶のコロナ禍期間をも生き通し、緊急事態宣言が解かれ、孫達が葬儀に参列出来る2021年10月を選んで旅立ちました。

別れのなかにも幸いがあることを知りました。そばにいるだけで、寄り添っているだけで、逝く者と見送る者の心が満たされる。そして周囲の優しさに深く慰められるのだと。

母の死化粧、湯灌は訪問看護師がしました。下がってしまう顎をワイヤーで支え、その喉元は花柄のハンケチでふんわり包んでありました。美しい終わりの顔になりました。

ブログの内容には直接関係の無いことですが、親を見送り、今を生きている自分を省みています。

お読み下さった方、有り難うございました。

コメント