楽観主義は意志である ---リハビリ経験から----


乳がんを罹患して以来、ジム通い、水泳、バレエストレッチ等、様々な運動に精を出して来ました。ところが、ある台風気圧の午後、膝と腰の激痛に襲われ、一歩も歩けなくなりました。レントゲンで変形性膝関節痛+すべり症と診断された時、「その歳ではまだ早い」と医師が首を傾げましたが、長年のホルモン療法の代価であると直感しました。

まずいことになった。未開の地で二十五年間、働いてきた宣教師の手記を、聞き語りで書き始めた矢先のことです。半年後には南アジアの山岳少数民族を取材するつもりでした。その村には平らな道が無く、険しい石段を何時間も歩かねばなりません。朝は四時に起きて川の水で洗濯し、宿に帰るのは夜十時、それからドラム缶の水で震えて体を洗い、という二週間の旅です。

でもこれを諦めたら、前へ進めない。

『診断、レントゲン、リハビリは全て分業、医師は患者の顔など覚えていない』 そんな大病院に見切りをつけ、親身な整形外科医を探しました。

「こういう旅に耐えられる体を作りたい」と相談すると、ある体操を教えられました。とても厳しい医者で、大きな声で怒るのです。「何だ、このサポーターは。こんな物を付けるから逆に弱るんだ。つべこべ言わずにやれ。そうじゃない。腱を伸ばせと言ったろう。息を止めるな、心臓に悪い。そのまま五秒数えて。これを百回やるんだ。毎日続ければ百歳になっても走れるっ。そんなに旅がしたけりゃ、頑張るんだっ」

他の患者さんが目を丸くして聞いているのに。恥ずかしい。

 

至って単純な体操なのです。しかし半年間毎日、百回続けたら、大腿部の筋肉が膝を保護する状態になり、本当に階段を走って上り下りできるまでになりました。そして十キロのアタックザックを背負って、山あいを旅することが出来たのです。その二週間は素晴らしい収穫でした。さらに半年後、パプアニューギニアの取材を無事に終えました。


あの時、あの医師に出会っていなかったら。
出会いも神様からの贈り物です。

二〇一九年の春と秋の旅でした。あの機会を逸していたら新型コロナで出国不可能になっていました。

 
 乳がんにしろ再建にしろ、大きな手術をした後の運動は加減が難しいものです。大事にし過ぎて腹筋が弱くなったり、頑張り過ぎて腰を痛めたりという失敗を、私も繰返してきました。

やはりその人独特の骨の造りや、バランスのズレ、既往歴を調べ、それぞれに合ったリハビリを適度に続けるのが良いのでしょう。人体宇宙、という言葉も浮かびます。お金をかける心配はしていません。常に勉強している医者を探せば良いのです。

 

「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」。(哲学者アランの言葉)

 

目的がありさえすれば道が拓ける、その目的に誤りさえ無ければ。そう信じます。

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