乳がん患者のアピアランス(外見)


先ご報告したSOG主催『乳房再建講演会』(山梨)では、がん患者のアピアランス(外見)をテーマに、たっぷり時間を取ってくれました。

 最近『肌断食』という言葉をよく耳にします。

『素肌がきれいになると人生が変わる!』黄聖琥著(三笠書房刊)は、これまで一部で信奉されていた、基礎化粧品を断つお肌の断食が、本物の美容用法であることを科学的かつ平明に説いた本です。

講壇に立った著者の黄ドクターのお肌は赤ちゃんのようにサラサラしていて、主張と外見が一致していました。頭ツルツルの床屋さんが育毛剤を勧めてもダメですが、こちらは信頼がおけます。ちなみにプルンプルン、しっとり、ではなくサラサラであることが、もっとも良好なお肌のコンディションとのこと。

  紙に水を垂らせばしばらくは潤うが、その後はカパカパに乾いてしまう、というのが良い例で、私たちは化粧水やクリームを使うおかげでますます化粧品を必要とする悪循環に陥っているようです。早い話が自然の代謝力のあるお肌を、界面活性剤で苛めるな、ということなのです。

肌に染み込むものはどんなに良質なものでも新陳代謝を鈍化させるので、夜は石鹸で洗いっぱなしにしておくのが良い。乾燥が気になるなら米粒ほどのワセリンを手のひらで伸ばし、顔の皮膚にのせるように付けておく。

クレンジングを必要とする強力なリキッドファンデーションもご法度。石鹸で落ちるパウダーファンデーションを使い、洗顔で泡を綺麗に落としさえすれば、メイクが多少残ってもダメージはない。【つけない・こすらない・洗いすぎない】が原則です。
 
 そうは云っても、紫外線防止と保湿は欠かせません。 

植民地時代の米国では、ご婦人たちが顔の乾燥を気にしてベーコンを顔にのせて眠っていました。

シャロン前橋の地元、群馬もあろうことか、不美人県で有名です。空っ風と夏の紫外線にどれだけ多くの女性が泣かされてきたことか。

肌断食に早速、挑戦してみました。石鹸で洗った後、ワセリンをほんの少し付けただけて眠ってみました。何故、ワセリンなのか。肌にのっかるだけで染み込まないから。お肌は乾いた外気から遮断され、ぬくぬくと自然の代謝に励みます。翌日は水だけで洗顔しました。眠っている間、顔に分泌された天然のクリームをわざわざ石鹸で洗い落とすことはないのです。またワセリンをうっすら塗って下地とパウダーファンデーション、口紅を塗って、その日仕事に行きました。

いきなりピカピカに変身できたわけではありませんが、少しも不自由は感じません。

私は血色が悪いので、口紅も塗らずに仕事場に出れば半病人のようです。365日スッピンでいることは出来ません。保湿と日焼け止めを兼ねたオレンジ系(肌色を明るく見せる)の下地と、パウダーファンデーションはこれからも欠かせません。

が、基礎化粧品はワセリンだけという美容法はこれからも続けます。第一に、安上がりですから。

 
 講演会に話を戻します。

がん患者さんを綺麗に見せる美容ジャーナリスト、山崎多賀子さんは今や大忙しです。乳がん患者であった多賀子さん自身がイキイキしていているのが、何よりのインパクトです。

ご著書「キレイに治す乳がん宣言!」は2007年に光文社から出版されました。この本には寿命がありません。抗がん剤投与中、頭髪、眉が無くなっていた多賀子さんがにっこりモデルになり、自分でメイクして美女に生まれ変わってゆく写真がふんだんに盛られています。

山崎多賀子さんについては忘れられない思い出があります。4年前の前橋市民講座『きれいになって外に出よう!!』の講師として来てくれたのです。

初めての出会いは日本医療政策機構、埴岡健一氏が主催するがん患者の勉強会でした。埴岡さんは34歳の奥様をがんで亡くされた経験をお持ちで、各県にがん対策条例を制定すべく、全身全霊で世に働きかけていました。政治的に提言できる、力ある患者を育成していたのです。ぴあサポ群馬代表の土屋徳昭氏もその修練道場を通ってきた方です。

その時いただいた多賀子さんの名刺を頼りに、たいした講演料も払えないのですが、と打診すると、「交通費だけ出してもらえば、車にメイク道具を積んでどこへでも行きますよ。ただし日程はバレーボールの試合と重ならないようにお願いします」とサバサバ引き受けてくれました。

さて、メイクのモデル役をどうしようか、患者サロンで相談していた時、自ら手を挙げた女性は、胃がんの若い女性でした。

市民講座の当日、ライトとストロボを浴びつつ多賀子さんにメイクしもらい、麗しい外貌を取り戻したモデルは素敵でした。病人としての彼女しか知らなかった担当医師は「この子、こういう顔で笑うんだ……」と驚いていたそうです。その女性はまもなくお亡くなりになったと聞きました。多賀子さんはご遺族の承諾のもと、今も彼女の笑顔の写真を講演のスライドに用いています。

あの市民講座は充実したものでした。私がおずおずと多賀子さんに電話をいれた後は、医療者や公務員や患者会の皆さんがすっかり手筈を整えてくれました。埴岡さんが教えてくれた『がん政策は政治、医療、患者、民間、メディアが一体となって初めて前進してゆくものだ』という主張が、地域のなかで結晶した例でした。

  乳がんという大きな経験のおかげで、出会いや思い出はどんどん豊かになって行くようです。

けれど、講演を聞きながら自分の抗がん剤治療の頃を思い出し、悲しみが甦ったことも事実です。抗がん剤は体に水分をため込む傾向があり、顔が真ん丸になります。目から涙があふれて止まらないのも副作用です。それが終わればホルモン療法。女性ホルモンの分泌をブロックすると、脂肪がつきます。10キロ太ったという人はざらにいます。見た目が変わらなくても、血中の中性脂肪がいきなり倍に増えたりします。顔色はくすみ、体は重くなります。でも食べないわけには行きません。働かなくてはならないのですから。もう10年前のことですが、様々な場面が心に焼き付いています。

治療にお金がかかるので私のウィグは安物でした。知人の反応は色とりどりで「それカツラなの? 可愛い。一生つけていたら?」という励ましや「似合うわね」とさらりと流し、あとは普通に接してくれるケースがほとんでした。でも、ここには書けないような負の反応もありました。お愛想や社交辞令が剥がれ落ち、あの人達の人間性があぶり出されているのだ、そう思いつつ、残酷な視線に向かって鼻の奥で笑ったこともあります。

 乳がんを明かしていない患者さんも、人知れず辛い思いをしていることでしょう。でも早期に発見できれば、治療には終わりが来るのです。限りある苦労なのです。頑張りましょう。

 
 話は逸れますが、黒柳徹子の『徹子の部屋』が長寿番組としてギネスに載ったそうですね。

あれは収録番組ですが、生放送的に放映してほしい、というのが番組を始めるときの徹子さんの条件でした。つまり、局の都合で編集し、演出するという味付けを一切しないという約束が生かされ、出演者の生き生きした本音が引き出されているのです。 

いつだったか、ある歌番組で徹子さんがラインダンスに加わり、キラキラした顔で踊っていました。「調子に乗って、恥ずかしい。徹子さんともあろう人が……。ああまでして視聴者に媚び得ることは無いのですよ」とたしなめる投稿が新聞に載りました。それを受けてのことなのか、当時80代後半にして旺盛に執筆していた宇野千代は書きました。「徹子の顔にあふれていた愛の力に打たれた。観客を楽しませたい、幸せにしたい。あれほどの愛に輝いた美しい人間の顔が、そうあるだろうか」という内容でした。

90年近く生き、惚れたはれたの騒ぎから遠のいて宗教的な境地にあった作家であればこそ、の視点なのでしょう。

  今、外は木枯らし。明日からまた寒くなるようです。

思えば私が乳がんの治療で一番苦しんだのも、この季節でした。鏡に映った自分の哀れな外見はとっくに記憶から消えたはずでした。ただ、心のダメージは今も覚えています。表情を暗くするのは視野狭窄なのです。

お化粧は大切だけれど、悩み始めればきりがない。そこまでにして、とっとと外に出ればよかった。この世にあふれている神様からの恵みに敏感になるべきだった。冬空を刺す樹木のけなげな姿や、早々と蕾をつけている蝋梅に目を向ければよかった。

当時の自分を振り返り、そんなふうに思います。

 
 毎年、講演会活動に奔走するSOGの皆様、今年もお疲れ様。どれだけ多くの患者さんが満ち足りた心で帰ったことでしょう。私も朝5時前に家を出た甲斐がありました。

おかげでまた、新たな出会いに恵まれそうです。その講演会で知り合った県内の患者さんと、今度ゆっくりお話しすることになっています。

 

 

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