患者が患者に出会う―120%を生きる方向転換―

201693日の夜のこと、某ライブ会場近くで携帯を使っていると、ギターのイントロが聞こえてきました。「While My Guitar Gently Weeps」。ビートルズ時代のジョージ・ハリスンの代表曲です。
どこかでこのギターの音色を偶然に聞きつけたら、草の根分けてでも弾き手を探し出して、追っかけになってしまうだろうなぁ、と今更ながらトロンとなってしまいました。

6年前の春の暮れのことです。乳房再建患者会SOGの講演会で有力な会員Yさんに出会い、後日、電話相談に乗っていただいたところ、オレンジ色の明るい空気がファーッと自分を取り巻きました。
→ 再建というのは一回で終わるわけではない、考えていたより、相当な覚悟のいるチャレンジらしい 
→ だったら尚のこと、挑戦したくなった
→ 体が普通でないことがコンプレックスで、そのために常に何か諦め、自分をしんみりとなだめる、そんな習慣には飽きてきた
→ え? 天才の形成外科医:佐武ドクターの手術が、二年半後に受けられる? いいじゃないの、二年半の間に、片づけておくことは山ほどある、さあ、始めよう

それから早7年が経過しました。
リッキーさんこと、廣田龍人は、ベース、ドラム、のみならずピアノ、チェンバロの音色まで、アコースティックギター一本で表現できる稀有なミュージシャンです。この夜も「ガール」「インマイライフ」「レットイットビー」などバラード系のリクエストを含め、縦横無尽のパフォーマンスでした。先にあげたハリスンの曲のギターの長丁場に、リッキーさんの真骨頂を再発見して、私はライブの世話人、Yさんに昂奮を伝えました。6年前のあの日、SOGの会場でYさんに出会わなかったら、再建もなかった、ジムも水泳もなかった、新事業の立上げにも加わらなかった、そして今日のライブの感動もなかったのです。

リッキーさんは65歳、ライブに集まっている人たちもほぼ同年代、人生の創世期にビートルズを聞いていた仲間同士です。リッキーさん、明日もコンサートがあるというのに、ここまで力を出し切ってくれて、指は、喉は大丈夫なのでしょうか?  
リッキーさんの人生も波瀾万丈だったに違いなく、だからこそ、会場はその時、彼が皆に向けて発する、並々ならぬ愛の力に湧いていたのだと思います。
この日、私はくしゃみ一つでぎっくり腰になりそうに疲れていたのに、エンディングで印度屋のママさん、Yさんが踊り始めたのをみたら、もう我慢できなくなって椅子を下り、リズムにのっていました。音楽の力は凄い、免疫アップで腰痛まで直してくれる(私はおとなしやかに生きてきました?ディスコやライブとは無縁でした。なのに乳がん・再建を機に、こういう人に変わっていました)。
仲間の一人が「あのおじさん、素敵ね」と耳打ちしたので見てみると、学者風の白髪紳士がディスコダンス、そのお顔つきがまことにチャーミング。言葉も交わさなかったけど、次のリッキーライブでまた会いたいと思う顔見知りが増えました。

さて、前回のブログでご案内した9/10(土)のぴあサポぐんま主催の講演会、座談会で、私も少しお話しさせていただくことになりました。
今後ますます重要になってゆく、患者会、患者サロンの役割、患者同士の出会いが何を産んでいるのか。シャロン前橋を開催して2年と半年。出会いの現場で起こっていることを、実体験からお伝えできるかもしれません。
私に与えられるテーマが何であれ、すべてはそこから生じると思うのです。
患者組織が企画し、患者でもある本田麻由美記者が講演し、患者たちがトークをし、会場の患者の質問を受け付ける。それは県内では初めての試みです。近場にお住いの皆様、どうか足を向けてみて下さい。必ず得るものがあるはずです。
準備に全力投球しているピアさぽぐんまの皆さんの姿から、ビートルズ曲「愛こそすべて」が連想されるようです。
次のリッキーライブではこの曲をきっとリクエストしましょう。


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