普通の顔をしている人々の値打ち


シャロンmの新年会を高崎のカレーハウス「印度屋」さんで開催しました。開催といっても参加者は11名。いつものサロンと同じくらいの人数です。皆の声の届く丸テーブルで、ちょっと時間が足らないくらいの楽しい時間でした。マスターの気持ちで牡蠣のお皿が追加されていました。家庭料理に近いのだけどやっぱりマネが出来ない味で、癖になるのはカレーです。時間が経つとまた食べたくなる。

  その前日、太田市の県立がんセンターで広背筋から再建したKさんが、お仕事帰りに写真と解説を入れた手作り冊子を「皆さんの参考に」とお手渡し下さいました。

青い手術着に着替え、麻酔の開始を待ちながら、幼いお子さんと満面笑みで過ごしている素敵な写真が、表紙にありました。ママが自分の病気のことを話すと、お子さんの反応は「いっぱい触っちゃったからかな」というものでした。綺麗に再建できたことはお子さんにとっても重要なことだったのでしょう。

授乳後間もなかったのでお胸の皮膚が柔らかく、これならエキスパンダーはいらないと判断されて、背中の皮膚と筋皮弁を、木の葉型に埋め込んだ成功例でした。術前マーキング、術後の傷跡、テーピング、回復してゆく過程、こうした実例の積み重ねは、再建サロンの宝です。

以前にブログで紹介した酒井成身ドクターの再建患者、Eさんのお義姉さんも来てくださいました。Eさんのお義姉さんは私の20年来の友人です。乳腺ではないのですが、相当な大手術を二度経験され、今も生活を工夫して後遺症と仲良くしています。

参加された方たちは、乳腺のトラブルや再建以外にも、多くのことを抱えて日々をやりくりしていますが、「私は苦労してきました」という重い空気をまとわず、普通の奥さんみたいな顔をしているところが好きです。それは偶然ではない、生き方の賜物だと思います。

 乳がんに罹ってしまったことや、治療の副作用が原因で鬱に落ち込むとしても、そこから長期間、抜け出せない場合は、その人の子供時代の苦労が一因かもしれません。
細やかな環境で厳しく育てられたとか、慢性的な愛情不足で大人になっても寂しさをぬぐえない、とか。そのような背景が、治療に影響を及ぼすようです。
「医師が相手にしてくれない、誰かが告げ口をしているに違いない、どうしていいかわからない」と途方に暮れている人。
「一度再建を諦め、状態が落ち着くのを待った方が良い」という複数の人たちからの助言に耳を貸さず、強行にことを進めてますます自分を追いつめてゆく人。

周囲が力になろうとしても難しいのです。彼女たちが一度自分というものを分解し、環境に作られた自分ではない、新しい人間を再統合してゆく気にならなければ、周囲の好意を受け入れる気にはなれないでしょう。分解するのは孤独で酷い作業ですが、再統合するときには共通語をもつ仲間が沢山います。

私が鬱に落ち込んだのは、乳がん発症以前のことでした。強迫神経症やフラッシュバックなどが絡み、あきらかに人格が崩壊していたのです。今も思い出すのはパン屋さんでのこと、アンパンを買うかアンドーナツを買うか決められず、苦しくてその場にしゃがみこんだことがありました。その数年後、友人とお喋りしているなかで「あなたが壊れていた時に」とさらりと言われ、ぎょっとしました。傍目にはわからないと思っていたのです。それを呑み込んで付き合い続けてくれた友人は、思えばありがたい存在でした。

私の場合は乳がんの発症を機に、心の病が良くなったのです。手術に、治療に、親の介護に、仕事に、と、病気のおかげでやるべきことが山積し、寝ていられなくなった、という鬱脱出のパターンでした。

病気のおかげで人間関係が濃くなった、というのもこの日の共通の話題でした。

お子さんのインフルエンザで来られなかったRさん、その朝、救急車で運ばれるお母様に付き添ったNさん、災害時のボランティア講習と重なってしまったKさん、そのほかの皆さん、桜の季節に逢えれば嬉しいです。

次回は4月9日(土)午後二時から、愛(まな)の家交流室にて。

「乳房再建ネットワークシャロンm」HP http://charon.webcrow.jp

 

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