術後10日目、新生乳頭の顔つき


抜糸後初めての全身シャワーで、立ち上げ乳頭をそっと洗った。そこにくっ付いているものが、あまりに柔(やわ)で頼りなく感じられ、「あれだけの思いをして作ったのに、お前はすぐにへこんで無くなってしまうのね」。悲しくて、シャワーの後もずっと、気力が湧かなかった。

その翌々日(手術から10日目)、浴室の腰かけに座って体を洗っていた時のこと。屈んだはずみに乳頭部分を我知らず、膝で押し込んでいた。「あー、へこんでしまった」。と、次の瞬間、新生乳頭は怒ったようにムゥッと出てきた。いつの間にか根性が備わっている。

乳頭部分はまだ抜糸していないので、その先には黒い細い糸が巻きついている。けれど、糸を外した後も、これは末永く陥没しないかもしれない、と感じた。

その後も日に日に質感を増し、安定している。

スターフラップ方式に変わりはないが、縫い付けは新たな方法を試みた、と聞いている。佐武ドクターの飽くこと無い探究心もさることながら、人の体に宿っている自家組織というものの定着力は凄いと感じる。

上手に表現できないけれど、そもそも人の体は偶然の産物ではないと思う。私は乳がんより以前に、ある臓器を切除しているので、その後の体調の変化によって思い知らされたことは、「自然」の中に無駄なものは一つもない、ということだった。

神様による完成品として生まれてきた体の一部が、不運にも病気で失われた。それを再形成するのに、膨大な知恵と力と症例数が必要なのだ。

治療や形成は、神様の力を再び借りて、医療と患者が一体になって謙遜に取り組んでゆく「術」なのだと思う。

こんなことを書いては生意気かな、と不安になるが、患者にとって「謙虚になる」とはどういうことだろう。医師の言うなりになることでもなければ、勉強しないで成り行きに任せることでもないと思う。本物の謙遜を身に付けるには、勇気が必要だ。明るい気持ちになるよう自分をコントロールすることも大事だ。

 鼠径部から持ってきた乳輪はすでに抜糸を終え、取れない糊で貼りつけた、という印象だ。健側と比べれば色が濃い。刺青によって薄くし、尚、輪郭にぼかしを入れて限りなく自然に近づけるのだという。

忘れてはならないのは、修正を加えた乳房全体の形だ。まだところどころ内出血のあとがある。腫れが引くにつれ微妙な左右差が、きれいに整ってくる。お帰りなさい、という実感。神様、サロンの参加者に報告するのが楽しみです。

「乳房再建ネットワークシャロンm」HP http://charon.webcrow.jp


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