乳輪乳頭作成 術後1日目 (スターフラップ+鼠蹊部)
2015年
シャロンmの立ち上げ前には、その友人から「乳がんにかかったことを公けにして、自分の値打ちを下げるようなことをして、どういうつもりなんですか」と、繰り返し言われて、困った。これが長年大事にしてきた親友なのだろうか、と戸惑ったが、変わったのは彼女ではなく、自分の方だったのかもしれない。
「乳房再建ネットワークシャロンm」HP http://charon.webcrow.jp
2/28(土)術後1日目
朝6時、そっとテープを外し、スポンジの保護材を傾けてのぞくと、くっきり乳輪枠が見える。円筒形の乳頭も見えた。このスポンジは新しい乳輪乳頭を定着させるため、三カ月は付けておく。
検温、血圧、体内酸素、異常なし。口の中が痛い。潰瘍が出来始めている。全身麻酔のあとは、管の出し入れで口腔が傷ついているので、術後は大きな口内炎が三つも四つも出来て、マトモイハナヒガレキナクナウ(まともに話が出来なくなる)のが常だ。ドラッグストアで買っておいた『ケナログ』を、指で塗布して、これで早々に退治。
抗生剤の点滴を終え、8時にベッドを離れた。
パジャマ姿で外来へ。
傷病手当申告書、保険金請求の診断書を、自分あての切手付封筒と共に窓口に提出。
抗生剤の点滴を終え、8時にベッドを離れた。
パジャマ姿で外来へ。
傷病手当申告書、保険金請求の診断書を、自分あての切手付封筒と共に窓口に提出。
10時、回診で傷痕チェック、T字帯をショーツに代え、鼠径部のガーゼを取りテープに代える。これでトイレが楽になった。鼠径部の痛みを訴える人が多いと言うが、ほとんど自覚症状がない。テープを貼っているから歩く時だけひきつれる。このくらい感覚がなくては、手術をしたことさえ忘れてしまう。10センチくらいの傷だった。
15時、Xさんにお見舞二人が来訪。この輝くばかりの美女二人には覚えがある。二人とも私を見たことがあるという。うらふねサロンやポーさんの会主催のセミナーで顔を合わせていたのかもしれない。
彼女たちは佐武ドクターの同時再建だった。傷跡も残らないほぼ完成したお胸を見せていただいた。乳房再建の黎明期を底固めしたうらふねのマダムやポーさん達の功績は、顕彰ものだと思う。
17時近くまでお喋りの仲間に入れていただき、とても楽しいひと時だった。玄関まで見送りに行くと、西の廊下が夕日に輝いて、天界を思わせるまばゆい光に満ちていた。そういえば再建本手術の朝も、こんなまばゆさを、ビルの反射光に見た覚えがある。
夕食前に最後の抗生剤が30分で終わり、点滴針が抜けた。
乳がんを患って以来、私は以前にもまして人間関係に恵まれている。自分の努力によるものではなく、与えられたという実感だ。
人のためを思って無我夢中で働く時、何の打算もなく奉仕する時に、深い喜びを感じる。受けるより与えることに喜びを覚えるように、人間はそもそも作られている。けれどそのような本然を、理解しない人もいる。
6年前、乳がん闘病の手記を出版したとき、ある友人から「あちこちに感謝の言葉が散りばめられていて、変ですよ。自分で乗り越えてきたのだから、人に感謝することなんか、無いじゃないですか」と言われ、血が下がってしまった。シャロンmの立ち上げ前には、その友人から「乳がんにかかったことを公けにして、自分の値打ちを下げるようなことをして、どういうつもりなんですか」と、繰り返し言われて、困った。これが長年大事にしてきた親友なのだろうか、と戸惑ったが、変わったのは彼女ではなく、自分の方だったのかもしれない。
「乳房再建ネットワークシャロンm」HP http://charon.webcrow.jp
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