「乳輪乳頭」 術前検査
首都圏、横浜方面では、石を投げれば乳房再建患者にあたる、と言えるほど多くはないにせよ、ずいぶん普及しています。
長椅子で診察を待っている女性を見ると、この方はきっと再建だ、と感じることがあります。「誰が何と云おうと」という意思の強い雰囲気で、背筋が伸びているからです。
長椅子で診察を待っている女性を見ると、この方はきっと再建だ、と感じることがあります。「誰が何と云おうと」という意思の強い雰囲気で、背筋が伸びているからです。
昨日は再建したお胸の修正と乳輪乳頭作りに備え、「術前検査」を受けてきました。二時間弱の手術とはいえ全身麻酔をかけるので、採血、採尿、HIV検査、肺活量診断など、半日がかり。術前検査の緊張感は、お相撲さんがフンドシしめるような感じですね。ともかく、このような手術を受けられる基礎体力のあること自体、恵まれていると思います。
私はエキスパンダーの過程を経ていません。地元で乳がんを切除した時、開けてみたら予想より悪かった、というケースだったので、外科医は胸筋を残し、乳腺も脂肪もしっかり切除してくれました。だから再建しようにも「肋骨ゴツゴツ」で、エキスパンダーを入れたら皮膚が破れてしまう状態だったのです。
今回はこの皺の部分を取り去って、綺麗な皮膚を縫い合わせることが一つ。
再建のお胸は削ったり整えたりするために、あえて豊かに作ってあります。そのお胸のサイドに直径5ミリ程度の穴を空け、脂肪を吸引し、デコルテのくぼみに注入して左右のバランスをとります。それが一つ。
そしていよいよお胸の先の皮膚を星形に切って立ち上げ、乳頭となるお豆を作り、足の付け根の茶色がかった皮膚で、まわりの乳輪をつくります。それが一つ。
今回はここまで。
この手術の傷が落ち着いた頃、乳輪乳頭に刺青をいれて仕上がりです。「刺青だったら近場でもできます」と言うと、佐武ドクターいわく「ダメ、最後までメイドイン横浜」。それはそうですよね。苦労して作り上げた作品が、完成時にどこかへ消えてしまうなんて。
長い長い乳がんとのお付き合い。
2006年に発症し、群馬の地元で全摘手術しました。2011年に佐武ドクターによる「穿通枝皮弁」の再建手術、そしてこの2015年に乳輪乳頭の仕上げです。何故それほど時間がかかったのかといえば、生活上、激動の9年だったから。
あくせく本業の人生を生きながら、再建についてこまごま勉強し、気持ちが熟した段階でゆっくり次に進む、というパターンでした。お若い世代なら、同時再建の短期決戦を考えるでしょう。しかし40代半ばで発症すると、親の介護や仕事の責任などがいっぺんにのしかかってくるのです。
一つ一つの手術にじっくり取り組めたのが幸いしたのでしょうか。仕上げの手術を待つことが、今しみじみ嬉しいです。ここまで普及させてくれた先輩患者さん達には、何度お礼を言っても足りません。
そして何と言っても佐武利彦ドクターの総体的な人格に、改めて敬意を払います。
手術は一カ月以上先のことですが、参考になるブログを書けるように、メモしてきますね。
乳房再建ネットワークシャロンm HP http://charon.webcrow.jp
コメント
コメントを投稿