「脳転移、余命三ヶ月」から再建を


 患者Xさんとのご縁の始まりは、Sドクターからの電話でした。「群馬方面から患者さんが来たから、サロンのことを話したよ」とのこと。早速お会いしたのですが、彼女の話を聞いているうちに私は天を仰いでしまいました。
 
 朝五時起きして子供三人を学校に送り出し、フルタイムのお仕事に出かけるという多忙さのなか、ふとお風呂上りの自分を鏡で見て、片方のお胸の変形に驚いたそうです。
 すぐに病院にゆくと、がんは硬く大きくなっていて脳にも転移が認められ、余命三ヶ月、と言い渡されたとのこと。
 しかし、それから二年三ヶ月も経って、彼女は目の前で生き生きと乳房再建の希みを語っているのです。
 

 生還の理由は二つ、まず抗がん剤(タイケルブ+ゼローダ)が効いたこと(彼女の場合、副作用は足の爪の変色程度)。
 そしてもう一つは「今あるガンが消えてゆく食事」(ビタミン文庫)などで知られる済陽高穂(ワタヨウタカホ)氏の指導の下、勧められる食べ物をじっくり咀嚼して、体を作り直していった、ということでした。その食事療法は厳しいものではなく、好ましい食べ物、好ましくない食べ物、何をいつ食べるのが効果的、などの注意を守っていれば 無理なく体質を改善できるようです。
 カチカチだったお胸は柔らかくなり、「当初は切除しても無駄だ」と言われていた原発巣を全摘することができたのです。そしてこの夏の終わりに脳転移の影は消えました。

「やっぱり柔らかいお胸が欲しい」。
 Xさんは穿通枝皮弁による再建の権威、Sドクターを始め、これぞという日本の名医の話を聞いて歩きました。
 しかし通例では抗がん剤をやめて半年以上経たないと、血管の状態が好転しない、感染症の怖れもある。抗がん剤が効いているのだから、やはり中断しない方がいい。そんな悩みに揉まれつつ、オーダーメイドの装着乳房=エピテーゼという選択肢を見出したのです。

 陽射し柔らかな土曜の午後、高崎在住のエピテーゼの技師、「メディカルラボK」の萩原さんが手を振って出迎えてくれました
たくさんの観葉植物が室内の空気を清浄にしています。明るい工房の南側で紅茶をいただきながら、三人でよもやま話。
 微笑ましかったのは、Xさんの話しに頻繁に「おとうさん」が出てくることでした。ご主人のことです。鷹揚で、時には恐い、古来の日本の父、みたいな人柄が浮かんできます。Xさんは「おとうさんに相談してくる」と見本のエピテーゼを持ち帰りました。「おとうさん」の感想はいかがだったでしょうね。

 Xさんと向き合っていると、転移という悲壮感が少しも無いのです。彼女が涙するのは、知人が自分とそっくりに発症し、一年のうちに亡くなってしまった話をする時だけです。その知人のことを聞くにつけ、私は不思議でなりません。その人はXさんと同じように脳転移を起こしてしまったのですが、その後、処方された薬はハーセプチン。信じがたいことです。
 ハーセプチンの効用は脳まで届かないのです。
  しかし脳に効く有力な薬も認可されています。それがタイケルブなのです。
 
 残念です。その人がもし乳がんの患者会やサロンに参加していたら、その効果の無い治療が医療ミスであることに、すぐ気づいたのではないでしょうか。

 乳がんの薬は次々と出ています。私の知り合いはタモキシフェンが効かず、肝臓に転移しました。「仕事を続けたい、副作用でQOLを落としたくなくない」という理由で抗がん剤を拒みました。それも一つの闘病姿勢です。私が納得できないのは、医師が別種のホルモン療法を勧めず、タモキシフェンの投与を二倍にする、という方法をとったことです。閉経前、閉経後の使い分けはあるにせよ、効力のルート様々なホルモン療法はあるのです。彼女のその後については、ここに書けません。

 亡くなった方に責任があるわけでは決してない。しかし、このような例を知るにつけ、運命の明暗を分けるのは何なのだろう、と考えてみたくなります。

 乳房再建は患者にとって困難な試練です。方法を選択するだけでも容易ではありません。成功する人に共通するのは、物凄い集中力で勉強することです。そして目を光らせて情報収集し、しかるべき時が来たら決断し、雑音を遮断して寡黙に行動します。チャンスを逃しません。そして明るく結果を持ち帰って、ケラケラ報告します。

 Xさんは一見とても女性的なおっとりした人ですが、芯は魅力的な「男」なのかもしれません。
 再建のみならず、生きてゆくために不可欠なのは、そのような両性具有なのかもしれません
 

 乳房再建ネットワークシャロン前橋HP  http://charon.webcrow.jp

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