H24 5/24(土) 「うらふねマンマのセミナー」に参加して
5/24(土)『うらふねマンマ』のセミナーが横浜で開催されました。
著名なドクター達が乳がん治療、乳房再建の現在と未来について講演し、最後はサロン運営に10年間、労して下さったマダムOさんを心からねぎらい、内容の濃い会になりました。
受け付けでSOGの主宰者、ポーさんに久々にお目にかかりし、私は6年前の出会いを思い出しました。
当時はA新聞の群馬版に乳がんコラムを書かせてもらっていて、勉強のつもりで再建セミナーに赴いたのですが、自分の地元が乳房再建の時流から取り残されていることを漏らすと、ポーさんは黒く輝いた目で「風を起こさなくては、ね」。
連鎖はそこから始まりました。その日、ロビーで名刺を下さったYさんは、再建本の編集サポートをしている生き字引のような女性です。Yさんが紹介してくれたのが「マダムだって乳房再建」のブロガーOさんだったのです。
Oさん主宰のうらふねサロンは、国内ではまだ珍しかった穿通枝皮弁による再建を普及させ、ドン底に沈んでいた乳がん女性たちを、SOGとの連携でグイグイ救い上げていました。Oさんもいわゆるタメのある人で、サロンでは聞き役に回り、オーラの力で参加者を前へと押し出してゆくマダムです。おかげで私自身、2011年には定評あるS医師の再建術で、温かく柔らかな再建乳房を手に入れることが出来ました。
そしてその再建手記「懐かしい月を抱いて」を上毛新聞社から上梓する際、医療面において正確に書いているかどうか、最終校正して下さったのも、Yさんでした。
折しもシリコンが保険適用になり、患者会のボランティアの女性に「情報の少ない県内で再建サロンを作りたい」と相談したところ「協力するから、是非とも」と賛同してくれました。
職場の同僚にホームページを作ってもらい、勤務先の交流室を会場にすることを許されました(あてにしていた公共施設は土日が塞がっていて、駐車場が無かった)。
ここまで順調に事が運ぶと、かえって怖くなるものです。私はすぐにYさんに助けを求め、サロン運営の注意点など、あらゆる角度からアドバイスをいただきました。
さらに地元の上毛新聞と毎日新聞の群馬版で、サロンの立ち上げが紹介され、乳房再建ネットワーク「シャロン前橋」は、こんな集まりが欲しかった、という声に包まれ、出発することが出来たのです。
ここまで順調に事が運ぶと、かえって怖くなるものです。私はすぐにYさんに助けを求め、サロン運営の注意点など、あらゆる角度からアドバイスをいただきました。
さらに地元の上毛新聞と毎日新聞の群馬版で、サロンの立ち上げが紹介され、乳房再建ネットワーク「シャロン前橋」は、こんな集まりが欲しかった、という声に包まれ、出発することが出来たのです。
ここには書ききれないほど、多くの人の善意と熱心な協力がありました。
深く印象に残っているのは、それぞれの場でリーダーシップをとっている女性たちがチャーミングで自然体であったことです。
80年代、千葉敦子さんは男も震え上がる果敢なパフォーマンスで、乳がん闘病をアピールしました。その世代の頑張りのたまものなのでしょう。時代は大きく変わっていました。
女性たちは能力を開花させながらも肩の力を抜いて、個々の人生の充実に関心を寄せているようです。
女性たちは能力を開花させながらも肩の力を抜いて、個々の人生の充実に関心を寄せているようです。
私達患者は必ずしもポーさん、Yさん、Oさんのような器ではありません。ただ、小さなミッションであっても、その場で出来ることをとり逃さないことが、かけがえのない次の出会いを生むのではないかと思います。
「シャロン前橋」は通称シャロンm(http://charon.webcrow.jp/)
となり、不定期ながらコンスタントに12名から15名の参加があり、地元の街角サロンとして定着しつつあります。
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